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画像引用元:恋塚寺【公式】(http://koidukadera.seesaa.net/)

悲しい恋愛物語が残る京都伏見の「恋塚寺」

2022-03-17

はじめに

歴史にまつわるスポットが多い京都伏見ですが、その中でも悲しい恋愛物語が残るお寺があります。その名も「恋塚寺」です。名称から恋愛にまつわるイメージがありますが、恋愛成就ではなく悲しいエピソードが残る場所。

今回は、悲しい恋愛物語が眠る京都伏見の「恋塚寺」についてご紹介します。


「恋塚寺」とは?

「恋塚寺」とは、伏見区下鳥羽にあるお寺です。1182年(寿永元年)に文覚という僧侶が建設したのが起源と言われており、1868年(明治元年)に鳥羽伏見の戦いで消失。その後、再建されました。「寿永」は平安時代の元号であり、古い歴史のあるお寺なのです。


美貌の持ち主「袈裟」と盛遠の出会い

「恋塚寺」が建設されたのは、ある女性の菩提を弔うためとされています。時代は平安時代末期にまで遡り、当時武士だった遠藤盛遠は、同僚の妻である袈裟(けさ)に恋をします。袈裟は並々ならず美貌の持ち主であったと言われています。

同僚の妻である袈裟に恋をした盛遠は、なんとか袈裟と一緒になりたいと思い始めます。そして、袈裟の母親に「袈裟に合わせなければ、今ここで斬る」と刀を振りかざしながら訴えました。その後、盛遠は袈裟に「夫と縁を切って自分の妻になれ」と強引に迫ります。


袈裟の悲しい決断

やがて袈裟は、夫を裏切ることはできない、断れば母親が殺される、両者の思いに苦しみ疲れ果ててしまいました。悩み疲れた袈裟は、盛遠にとある提案をします。「自分には夫がいるため、私を妻にしたければ夫を殺してください。そうしないと、安らかな気持ちであなたの妻に離れません。」と。

続けて袈裟は盛遠にこう言いました。「これから夫に酒を飲ませて寝床に寝かせておきますので、合図がなったら屋敷に入り、夫の首をとってください。夫を殺すことができたら、私はあなたの元に参ります」袈裟からの提案に喜ぶ盛遠でしたが、これが悲劇へとつながります。


自ら犠牲になる選択をした袈裟

盛遠は約束通り屋敷に忍び込み、首を跳ね、その首を抱えて屋敷から走って出て行きました。途中で跳ねた首を確認すると、袈裟の夫ではなく、袈裟本人だったのです。袈裟は母親と夫への貞操を守るため、自らが犠牲になることを選んだのでした。

その後、盛遠は袈裟を弔うために草庵を建て、出家し「文覚」と改めました。文覚は命懸けで修行に励み、荒れ果てた寺院の復興に尽力したと言われています。

悲しい物語が残る「恋塚寺」ですが、貞操を貫く心と文覚の悔いを改めやり直す大切さは、時代を超えて引き継がれています。今でも袈裟御前は多くの女性が訪れる場所となっています。


「恋塚寺」へのアクセス

「恋塚寺」へのアクセスは下記の通りです。

住所:下鳥羽城ノ越町3-1
駐車場:なし
アクセス:
・京阪電車 丹波橋駅下車 徒歩25分
・近鉄京都線 丹波橋駅下車 徒歩25分
・京都市営バス 「下鳥羽城ノ越町下車徒歩2分


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