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※画像はイメージです

鳥羽・伏見の戦いの地で知られる「鳥羽離宮公園」の見どころは?

2022-05-20

はじめに

京都伏見にある鳥羽離宮公園は、有名な鳥羽・伏見の戦いが始まった場所でもあります。現在は、人工池があり広い公園となっており、「伏見鳥羽の戦い」を記した碑が建てられています。当時の面影を残すものはありませんが、平安時代には鳥羽離宮と呼ばれる御殿があった場所でもあるのです。今回は、京都の歴史深さを感じられる「鳥羽離宮公園」についてご紹介します。


鳥羽離宮公園とは?

平安時代後期の白河上皇の院政開始を象徴し、造営を開始した鳥羽離宮。院政の終焉と共に離宮内の建物も姿を消し、戦後の発掘調査で離宮内で最初に造園された跡地が史跡に指定され、鳥羽離宮公園として整備されました。

鳥羽は交通の要で外港としての機能もあり、貴族たちの別邸が立ち並ぶ煌びやかな場所でもありました。鳥羽離宮は東西1.5km、南北1kmにわたる広大な離宮であったと記録に残っています。南北朝の動乱などにより消失し、現在は安楽寿院、白河・鳥羽・近衛各天皇陵、城南宮、築山を残すのみとなっています。


鳥羽離宮公園は「鳥羽・伏見の戦い」が開戦した場所

鳥羽離宮公園は「鳥羽・伏見の戦い」が開戦した場所としても有名です。鳥羽・伏見の戦いでは、新政府軍の陣営がこの場所に設けられたため戦場となりました。鴨川より東上してきた旧幕府軍は鴨川にかかる小枝橋で薩摩藩で構成された新政府軍と接触し、鳥羽・伏見の戦いが開戦されたのです。

鳥羽・伏見の戦いでは、武器補強に勝る新政府軍が優勢に戦いを進め、旧幕府軍は敗退となりました。


鳥羽・伏見の戦いとは?

歴史でも有名な鳥羽・伏見の戦いとは、旧政府軍と新政府軍との戦いである戊辰戦争の初戦です。大政奉還による江戸時代が終わり、開国をした日本ですが、倒幕をめざしていた薩摩藩は、形式的に政権を返上した徳川家が政権を握り続けることに納得できない状況でした。

倒幕を目指す薩摩藩は幕府への挑発行為を繰り返し、襲撃を発端として旧幕府軍との戦いが始まるのです。そして、鳥羽伏見で1868年(慶応4年)開戦し、1年4ヶ月ものの間日本国内で内乱が続きました。


鳥羽離宮公園の見どころ

鳥羽離宮公園は、離宮の面影もなく現在は広大なグラウンドに整備されています。公園内には鳥羽・伏見の戦いの碑などが設置されています。公園内は自然豊かで花々や木々に囲まれ、ゆっくりと歩きながら散歩するのもおすすめです。

当時の優雅な離宮の面影はなく、公園となっていますが、当時の離宮の資料を見ると煌びやかな場所であったことが思い浮かばれます。城南宮からも近くなので、参拝ついでに訪れるのもおすすめです。


鳥羽離宮公園へのアクセス

鳥羽離宮公園へのアクセスは下記の通りです。

住所:京都府京都市伏見区中島御所ノ内町
駐車場:なし
アクセス:
・京都市営地下鉄烏丸線「竹田」駅下車徒歩25分
・近鉄京都線「竹田」駅下車徒歩25分
・京都市営バス「城南宮道」(18号系統)下車すぐ
・名神高速道路「京都南IC」より約5分

駅から離れた場所にあるので市バスをご利用されることをおすすめします。駐車場はありませんので、お車でお越しの際は近隣のコインパーキングをご利用ください。


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