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伏見にある歴史を感じられるスポット!

2018-08-24

江戸時代を今も感じられる『寺田屋』

寺田屋は江戸時代末期に発生した「薩摩藩の尊皇派志士の鎮撫事件」と「伏見奉行による坂本龍馬襲撃事件」の二つの事件が起きた旅館・寺田屋の事です。
「薩摩藩の尊皇派志士の鎮撫事件」は、薩摩藩尊皇派の志士を、朝廷より銘を預かった薩摩藩の指導者的立場であった「島津久光」が、始末した事件で、「寺田屋騒動」とも呼ばれることがある。また「伏見奉行による坂本龍馬襲撃事件」については、別名「寺田屋遭難」とも言い、坂本龍馬が京で薩長同盟会談を斡旋した直後、伏見奉行の林肥後守忠交が捕縛または暗殺しようとした事件を言います。
現在の寺田屋の建物に関しては、幕末当時の建物は鳥羽・伏見の戦いの兵火で焼失していたために、のちに当時の建物の西隣に建てられたものとなっていますが、「弾痕」「刀傷」や「お龍が入っていた風呂」が当時のままの姿を似せて作られているので、当時の事件をイメージする事の出来ますね。


『伏見稲荷大社』の千本鳥居は幻想的で圧巻!

「伏見稲荷大社」は、千本鳥居で有名な神社です。
祭神は、主祭神を「宇迦之御魂大神」として下社、「佐田彦大神」が中社、「大宮能売大神」が上社に祀られ、「田中大神」「四大神」の五柱の神を一宇相殿(一つの社殿に合祀する形)に祀っています。
創設を711年ととても歴史と由緒ある神社で、全国にある稲荷神社(約3万社)を総括する神社になっています。
とても大人気で「うつくしい日本の歩きたくなるみち500選」にも選ばれるほどです。
またその人気は日本人だけに収まらず、外国人の方も、ここに来るために日本に訪れる人も。
「伏見稲荷大社」では、本殿左側(8:30〜16:30)、奥社奉拝所(8:30〜16:30)、御膳谷奉拝所(9:00〜16:00)の三か所で、御朱印を頂く事が出来ます。
ただ稲荷山にある「御膳谷奉拝所」だけ、のぼり少し大変なのでご注意下さい。
他にも「伏見稲荷大社」には「楼門」があり、ここは豊臣秀吉が「病気治癒」をお願いした逸話のある門になっています。
「先見の明」「眼力を授かる」と言ったご利益がある「眼力社」、色々なタイプの「狛狐」等と沢山の見どころが「伏見稲荷大社」には満載です。


古都京都が誇る世界遺産『醍醐寺』

「醍醐寺」が創建されたのは平安時代の初期の頃で、「理源大師聖宝(空海の孫弟子)」が874年に開山したお寺になります。
この醍醐寺はとても広く、上醍醐と下醍醐は隔たれています。
山道が続く場所が多く、しっかりとした靴で行かれることをおすすめしますね。
上醍醐には、薬師堂、醍醐寺の鎮守神である清瀧権現拝殿、五大堂が立ち並んでいます。
今も湧き出ている「醍醐水」は、霊水と呼ばれており、飲料もできます。
ただこの醍醐寺は応仁の乱の際に全焼、再建、また天災などで焼失などを繰り返しているので、創建当時の姿を残しているのは五重塔のみです。
しかし、豊臣秀吉に「醍醐の花見」と親しまれたお寺の為に、移築・建設などを繰り返し、今でもその歴史に触れることができます。
思う存分と歴史を感じたい方はぜひ醍醐寺に行ってみてはいかがでしょうか?


自然を感じながらゆっくり散策できる『伏見城』

現在「伏見城」と言うと「桃山城」「伏見桃山城」という名前が出来てきます。
ただ、この「伏見桃山城」と言う名前に関しては、復興天守施設(伏見桃山城キャッスルランド)に付けられた名前です。
本来の「伏見城」は、豊臣秀吉が最初に築城した「指月伏見城(指月城)」、すぐに地震により倒壊して再度少し離れた場所に築城した「木幡山伏見城(木幡城・豊臣期)」、関ケ原の戦いの際に落城し大半が焼失したのちに徳川家康が築城した「木幡山伏見城(木幡城・徳川期)」になります。
ここ「伏見桃山城」の築城当時の北側にあった外堀を整備した「伏見北堀公園」は、とても魅力ある公園になっています。
施設としては、花木のこみち,多目的広場,滝,ながれ,池,トリム広場,芝生広場など自然を感じるスポットが多く、散歩にも良い場所です。
園路がありますが、ここはウォーキングをするのにとても清々しく、マイナスイオンを取り入れ心をリラクゼーションしながら、楽しむ事が出来ます。
園内には池などもあり、都会の中で自然を感じて色々と歩き回る事が出来ます。
またこの近辺には「明治天皇陵」や「桓武天皇柏原陵」などもありますので、「伏見城」「伏見北堀公園」と共に一日で一気に巡る事も可能なので、とても楽しむ事が出来ますね。


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