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豊臣秀吉によって築かれた伏見桃山城や坂本龍馬が宿泊していた寺田屋など、京都伏見には歴史を感じられるスポットが盛り沢山です。
その中でも、江戸時代の薩摩藩との繋がりを感じられる場所が、「薩摩島津伏見屋敷跡」。
現在は石碑のみが設置されていますが、かつては薩摩藩の藩邸があった場所です。
幕末には将軍家定の正室となる篤姫や寺田屋で避難した坂本龍馬も滞在した屋敷があった場所。
今回は、京都伏見にある薩摩島津伏見屋敷跡について、みどころなどを合わせて解説します。
京都市伏見区東境町にある薩摩島津伏見屋敷跡ですが、現在は石碑だけが立っています。
かつては、薩摩島津家の伏見屋敷があり、天皇の正室となる篤姫や坂本龍馬が滞在したと言われています。
徳川将軍は3代家光以後、約230年もの間、江戸にこもり京都に来ることはありませんでした。
原則として諸大名にも上洛を禁じ、西国大名が参勤交代のため江戸と本国を往復するときは、京都ではなく伏見を通っていました。
島津家も少なくとも寛文10年(1670年)までは伏見で屋敷を営み、江戸と薩摩を往復する際の当主の滞在地としていました。
そして、歴史で有名な事件である寺田屋襲撃事件が起こった際、坂本龍馬はこの場所に避難したと言われています。
この場所でしばらく療養し、その後京都の薩摩藩邸に移りました。
この隠れ場所がなければ、日本の歴史は変わっていたかもしれません。
石碑に記載されている文字は、下記の通りです。
【東】江戸時代 薩摩島津伏見屋敷跡
【南】天璋院篤姫洛中洛外滞在時の宿泊地
【北】坂本龍馬 寺田屋脱出後 避難之地
【西】二〇〇八年十二月建之 特定非営利活動法人京都歴史地理同考会建之 寄附者 河畑 鎭
また、石碑の横には龍馬の避難場所になったことや篤姫が宿泊地として利用したことなどが記載されています。
薩摩島津伏見屋敷跡は、現在は松山酒造株式会社の正門付近にあり、石碑のみが立っています。
屋敷が残っているわけではありませんが、寺田屋で襲われた後の坂本龍馬の足取りを感じることができるので、寺田屋から龍馬通りを辿って、薩摩島津伏見屋敷跡を目指して歩く散歩ルートもおすすめです。
そして、難を逃れた龍馬とお龍の新婚旅行への始まりの地とも言われており、1本の石碑から様々な歴史を紐解くことができます。
京都伏見では様々なところで坂本龍馬の足取りを感じることができるので、龍馬ファンはぜひ、訪れてみてはいかがでしょうか。
薩摩島津伏見屋敷跡は、「京都府京都市伏見区東堺町483」にあります。
現在は、「松山酒造株式会社」の正門前に石碑が建てられています。
京阪電車丹波橋駅から徒歩12分でアクセスが可能です。中書島から龍馬通りを通って行く場合は、徒歩10分ほどです。
京都府知事 (3) 第13382号
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